NPO法人ITプロ技術者機構 小西洋三
◇はじめに
言語はアセンブラという初期のコンピュータ時代、総合電機メーカに就職し、それ以来、システム・ソフトウェアに関わってきました。この「我がシステム・ソフトウェア人生」を振り返り、何か役に立つことはないものかと、以下のようにまとめて見ました。
◇高度成長神話
企業に勤務し始めた1970年頃は、高度成長期の真只中であり、いくつかの成長神話が生まれていました。例えば、カラーテレビが、売れに売れて、出荷を待つトラックが、広大な敷地の工場の周り1周を越えたと言う話がありました。
その後、家電品などは価格競争が始まり、付加価値の低い製品から、海外へ移転するようになりました。今、このような高度成長神話はありませんが、当時の家電品の大幅な利益により、コンピュータ関連への投資を受けることができ、今日のIT産業隆盛のきっかけになったと言われたものです。
◇ソフトウェアはハードウェアのおまけ
1970年頃のコンピュータ業界では、ソフトウェアはハードウェアの「おまけ」扱いでした。ハードウェアと一体で価格設定がなされていたからです。このためか、当時ソフトウェア開発部隊の独立性は低く、バグつぶしで徹夜の続く中、密かに「ソフトウェア独自で価格設定すべき」と同僚と話しあったものです。
その後、ソフトウェア独自での価格設定が始まり、ソフトウェアだけの会社、いわゆる「ソフトウェアハウス」が続々生れ、今日に至っています。いまは当たり前ですが、昔の悲哀を知るものにとっては隔世の感がします。
◇オフショアのはしり
(1)1970年頃、早くも我が職場では中国・韓国からの研修生を受け入れました。彼らは、猛烈に仕事をし、勉強していた記憶があります。そのとき、いずれは彼らが、「自国のソフトウェア産業を背負うようになるのでは」と密かに思ったものです。
(2)その後、1995年頃、今で言う「オフショア」の初体験をしました。担当の同僚の話では、ある技術系アプリケーション・ソフトウェアの開発に当り、国内のソフトウェアハウスでは、与えられた予算をはるかに超えた額のところ、中国人(博士含む)を雇ったソフトウェアハウスが、大幅な安値で受注に応じてくれたそうです。この会社は、中国に住むプログラマーを使って開発するとのことでした。一方で、専門用語の誤解があるなど言葉の壁に苦しんだようです。
◇技術力
1975年頃、コンピュータ導入による社内の合理化システムを次々と成功させた技術者と出会うことができました。彼の持論は「技術力は、投資額に比例する」というものでした。これに近いもので、「金のあるところに技術が集まる」という話も聞いたことがあります。これに対して「黎明期だから言える」などの異論があると思いますが、一面の真理をついていると思います。
◇まとめ
歴史的にみると、コンピュータ・プログラムから始まり、ソフトウェア、システムという用語がよく使われた後、インターネットの登場で、ITないしはICTという用語が、比較的よく使われるようになりました。
人間の英知をコンピュータに乗せることで成り立つIT産業は、この英知が続く限り、上昇が続くと予想されます。とは言え、それだけIT産業に参入する企業が増え、IT技術者も増えるので競争は激しくなってきます。しかも黎明期には許された試行錯誤が、いまは許されず、厳しい開発環境にあるようです。又発展途上国の技術力が向上し、コストの関係で、IT開発について国際的分担の機会が増えています。従って、これからのIT技術力は、開発の分担方法や資源の配分方法及び技術の共有方法によって、左右されるような気がします。
(2008年8月)